私は面倒くさがりで、その中でも風呂というものがトップクラスに面倒くさいと前に書いた。
その時にも言ったが、風呂が嫌いなわけではない。
面倒くさい割合の半分程を占めていたのが、長髪を洗うことであった。
そして先日、40cm強のロン毛をバリカンで刈りまくり6mmの坊主頭に相成った。
400mmから6mm、400円が6円に。
野球協定で定められた減額制限55%をはるかに超える提示を受けたのと同意。
ということは、大幅に面倒くさくなくなるはずで、ともすれば風呂に入る回数が増え過ぎてしまうのではないか、と心配をしていたほど。
朝夜の2回が、朝、帰宅時、寝る前の3回になり、朝2回、帰宅時、夕食後、寝る前の5回になる。
そうなってしまえば止まらない。
すぐに入れるように家では常に全裸で過ごし、遂には寝る時も含め全てを風呂でやるようになる。
当然食事も排泄も風呂でするし、風呂に玄関を設置し、常に湯に浸かっているものだから皮膚はふやけてブヨブヨになり、遂には
「私の仕事は風呂に入ることです。いや、それどころか生きることとは風呂に入ること、人生とは風呂なのだ」
などと言い出し、更には、‘‘ぶろ教’’ という宗教を始め
「ぶろ教の‘‘ぶろ’’とは、露天風呂とか一番風呂などと前に言葉が付くと、‘‘ふろ’’が‘‘ぶろ’’に変化するところから来ていて、固定観念にとらわれない変化に富んだ教義を信ずるということ。すなわち風呂とは自由、自由とは風呂なのです!」
と演説をぶつようになってしまうのかも、などと考えていた。
しかし、どうにもあまり変化が感じられないのだ。
変化があったとすれば、風呂に入る前にうだうだ悩む時間が少し減ったということくらいか。
もちろん入浴時間は大幅に短くなり、髪も乾かさずに済むので本当に楽にはなった。
なのに、なのに、やはり面倒くさくてしようがない。
落ち着いてよく考えてみると、髪の毛を洗う負担が大幅に減った今、入ってからは面倒なことはほぼ無く気持ち良いだけだ。
ということは、やはり入る前に服を脱ぐというのが諸悪の根源なのではないか。
今は冬。
気づいてみれば当たり前のことで、服を着た状態でも暖房をつけなきゃ寒いのに、裸になるなんて正気の沙汰じゃない。
いくらそのあと湯に浸かるとはいえ、脱いでから湯までの間は寒いに決まってる。
それを解決するには、服を着たまま湯に浸かり湯の中で服を脱ぐしかない。
が、脱いだ後のビショビショの服はどうすればいいのだろう。考えただけでも面倒くさい。
では一体どうすればいいのか。
先の妄想の中で、「仕事は風呂に入ることです」というのがあったが、ここにヒントがあるのではないか。
もし風呂に入ることによって報酬を得られるのなら喜んで入ることだろう。
世の中には様々な代行サービスがある。
運転代行、家事代行、家族代行、彼氏彼女代行、SNS代行...
今や何でも代行。
ということは、風呂代行があっても良いのではないか。
私のように、風呂に入るのが面倒くさいという人はそれなりに存在すると思われるので、その人に代わって私が風呂に入ってあげるのだ。
依頼者は面倒から開放され、私は風呂に入って清潔を保てる上に金までもらえる。
最高じゃないか。
ただ、
依頼者からすれば、私に金を払った上に風呂場を勝手に使われ、おまけに自分は全くきれいにならないという、まるで無意味な行為ということになってしまうのが大問題ではある。
などと、それこそ無意味なことをグズグズと考えながら、今も風呂に入るのを先延ばししている。