ここ4カ月程歯医者に通っている。
めんどくささの極みだ、はっきり言って。
でも、歯が痛い→飯が食えない=死なので、毎週毎週気力を振り絞り、這うようにしてどうにか通っている。
先日治療に赴いた時のことだ。
その日の治療はあらかた完了し、詰め物が固まるのをボケっと待っていると、隣の治療椅子に60〜70歳くらいとおぼしき男性が案内されてきた。
その御仁は座るなり歯科衛生士の女の子に向かって、何やら熱心に語っている。
聞こえてきたのを要約すると、どうやらその人は予約時間より1時間も早く来たらしい。
彼としては元々この時間が良かったのに、空きがないと言われて渋々1時間後に予約を入れた。
が、やっぱり1時間後では嫌なので予約の時間を無視して来てしまった、ということのようだ。
「いっぱいだって言ったのに、来てみたら空いてるじゃねぇか。一体どういうことだ?」
と、何回も言っている。
困り果てた歯科衛生士の女の子が別の女性を呼んできたので、今度はその人に言っている。
「ご予約頂いた時はいっぱいだったんですけど、急なキャンセルが出てしまったんです」
女性は説明するが、老人は止まらない。
何回も同じことを言い続ける。レコードの針が飛んで同じところをループするように。
女性も粘り強く、優しく説明している。
すると、爺さんは驚きの台詞を口にする。
「本当は空いてたのに、意地悪して埋まってるって言ったんじゃないのか」
そんな意地悪なんてしませんよ、と女性は優しく対応する。
それでもじじいは、意地悪したんだと言い続けている。
ここで私の治療は終わり、歯医者を後にしたのでその先はどうなったかわからない。
それにしても、ああいうこと言うかね。
あのくそじじいは、何か意地悪される覚えがあるのだろうか。
もし意地悪される覚えがあるのなら、それは意識した上で嫌なことをした己のせいじゃないのか。
しかも、実際の予約より1時間早く来て、いっぱいだったら納得したのか。おそらくしない。その後待たされることに文句を言うのだろう、きっと。
嫌なものを見てしまったと思い、自分はどうかと考えてみた。
私のような小心者は、歯医者で文句を言うなんてとてもじゃないができない。
歯医者も人間、感情があるのだ。
文句を言って歯医者側に悪印象を持たれたら、余計なところまで削りに削られて、より痛いやり方で治療されてしまうのではないか、と考えてしまう。
何しろ相手は鋭利な刃物や、グルグルと高速で回転するドリルを持っているのだ。
それに対してこちらは完全なる丸腰で、おまけに顔にタオルをかけられて、よだれかけをかけられ、横にならされている。
奴らがその気になれば、治療と称して口の中に入れているドリルを脳天に向けぶっ刺すこともできるのだ。
まさに、『フルメタルパニック』の相良宗介が美容院で頭を洗われるのに耐えられなかったのと同じ状況なのだ。
などと、考えたら恐ろしくて歯医者の言いなりになるしかない。
それ故に少しでも好印象を与えようと、愛想笑いを振りまいたり、「ここ痛いですか?」と聞かれて、本当は少し痛いにもかかわらず「大丈夫です」と答えてしまったり。
ただ、実はこの「大丈夫です」には私なりの僅かな抵抗が含まれていて、痛いですか?と聞かれたなら、正確には「痛くないです」なり、相良宗介のように「問題ない」と答えるのものであるのに、わざわざ大丈夫ですと答えているのだ。
これには、大丈夫ですという曖昧模糊な答えを受けて治療せずに悪化してしてしまっても、私は痛くないとは言ってないのに、治療しなかった其方が悪いのであって、こちらに非は無いと言い張れるという理由がある。
そんな謀略を知らない歯医者は、大丈夫ですという言葉に騙されて治療なぞしない。
そして虫歯は悪化し、耐えられなくなった私はまた歯医者に行きほくそ笑むのだ。
おまえが私の深遠なる考えを理解せず、勝手に勘違いして放っておくからこんな酷いことになるのだ、馬鹿め、と。
しかし、痛い痛い治療を受けている間に思い至る。
これって俺が痛い思いをして損するだけじゃね。
馬鹿は俺だ。
むしろ歯医者さん側は、こちらの謀略などお見通しで、あいつ良くわかんないこと言って、ニヤニヤしてて気持ち悪いし偏屈そうだよね、何を勘違いしてるのかロン毛だし、根暗っぽいよね、なんて皆で言い合っているかもしれぬ。
やばい...
これではあのくそじじいと同類の嫌な患者ではないか。
次の予約までにどうにか印象をアップする方法を考えねば...