『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がめでたく最終回を迎えた。
『ポプテピピック』のことを書いた時に、2018冬はあまり心に刺さったものはなかったと書いた。
だがそれは嘘で、実は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観ては毎週毎週滂沱の涙を流していたのだ。
来週からは観ることができなく寂しいけれど、もう滂沱しなくていいことに少しホッともしている。
ただ、新作決定と出ていたからそれはとても楽しみだ。
さて、どんなに絶賛されたものでも必ず同じくらいの批判があるのが世の常だが、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はどうだろう。
良い所としては、
- 作画が素晴らしい
- ヴァイオレットが可愛い
- 感動する
- 根源的な深いテーマ
- ヴァイオレットがかわいい
などがあるかと思う。
逆に批判としては、
- 使い古されたテーマ
- 大きなテーマの割に中身が浅い
- ヴァイオレットの成長が急すぎて、心の動きを追えない
- 設定がめちゃくちゃ(例えば、義手だけ超ハイテク)
- いかにも泣かせようという展開
- ヴァイオレットがかわいい
などなどかなと。
以上の良い所、悪い所は私の感想ではなく、こういう風に言われるのではないかという推測だ。
タイトルにもあるように、私は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は名作だと思っている。
では、
ここからが本題。
何故私は名作だと言うのか。
それは、第1話まで遡る。
ホッジンズ社長が登場し、ヴァイオレットを迎えに行く。
そしてヴァイオレットに呼びかける。
「ヴァイオレットちゃん」
最高、ありがとうございます。
だって「ヴァイオレットちゃん」ですよ?
ちゃん付けですよ。
人間兵器、殺人マシーン、最終兵器彼女として敵兵から恐れられ、味方ですら道具としか思っていない両腕が機械と化した人に対して、ホッジンズ社長あの声で、
「ヴァイオレットちゃん」ですよ。
はっきり言って、かなりの違和感です、これ。
だけど、
この瞬間をもって、彼女は感情の無い人間兵器から、ヴァイオレットちゃんという女の子になったのです。
ホッジンズ社長のあの声での「ヴァイオレットちゃん」をもってすれば、設定がなんだとか絵柄がどうだとか展開がとかヴァイオレットが可愛いだとか、全て些細なこと。
「ヴァイオレットちゃん」この呼び方だけで、名作確定。
考えてみてほしい。
ホッジンズ社長があの声で言うところを。
- 「ヴァイオレット君」
- 「ヴァイオレットさん」
- 「ヴァイオレット殿」
- 「ヴァイオレット先生」
- 「ヴァイオレット氏」
- 「ヴァイオッレット女史」
- 「ヴァイオレット様」
- 「ヴァイオレット公」
- 「ヴァイオレット嬢」
- 「ヴァイオレットたん」
- 「ヴァイオ&レット」
どれだけ挙げても、しっくりこないことがよくわかると思う。
かたや、
「ヴァイオレットちゃん」
完璧すぎる、非の打ち所がない。
ホッジンズ社長の「ヴァイオレットちゃん」の部分だけが収録されたCDが発売されたら間違いなく購入するだろう。
しばらくは、「ヴァイオレットちゃん」ロスに悩まされる日々が続く...