一人暮らしとは闘いである。
圧倒的な自由との。
当然家の中には自分一人しかいないので、いかなる振る舞いも可能。
どんなことをしようと咎められることはなく、悲惨なことが起きても自分で後始末をつければ良い。
隣人からの苦情にさえ気を付ければ、無限の可能性が広がっているのだ。
たとえば、アニメ「メイド イン アビス」でミーティーを送り出してあげるあの感動的なシーンを観ている時、尋常ならざる便意を催したとしよう。
さあどうする?
更に、その時偶然にも7年はき続け穴こそあいてないものの、生地が薄くなり過ぎて半透明化しまっていていつ捨ててもいいパンツをはいているとしたら。
さあどうする?
せっかくの感動的なシーンの最中に厠に駆け込むか、そのまま半透明化したパンツにブチまけて「メイド イン アビス」を観終わってからパンツを捨てた後尻を洗うか。
これが、一人暮らしの家の中での出来事じゃなければ答えはほぼ一択だろう。
半透明化したパンツのことなど思い出しもしないかもしらん。
しかし!
ここはマイホーム、自分一人の楽園。
世界で唯一の一般的常識という軛から解き放たれる場所。
この空間において自分は全知全能の神にも等しき存在なのだ。
さあどうする。
あまり悠長に構えている時間はない。
何しろ相手は普通の便意ではなく、その激流に耐え切れず今にも尻が爆発してしまいそうなほどの便意なのだ。
一人暮らし初心者にとっては厳しい闘いであろう。
されど、私くらいの一人暮らしのベテランなら即決だ。
決まっている。
便意ごときで名シーンを見逃すなんて無粋な真似はしない。
苛烈な便意を感じ取った瞬間、いつブチまけてもいいように、覚悟を決めるだろう。
そう、覚悟の量が違うのだ。
むしろ僥倖とさえ感じるかもしらん。
この時このタイミングでこれだけの強敵が現れるなんてなんとドラマティックなのだろうと。
まさに一人暮らしの醍醐味ではないか。
覚悟を決めた私は画面に集中しようとするのだが、いかんせんここでベテランが故の弊害が顔を見せる。
下手に経験を積んでいるが為に、脳内の片隅では意識せずとも後処理を少しでも軽くする算段をつけているのだ。
今装着している、もはや布とは言えないほど摩耗し只の薄い膜と化したパンツでは、濁流を受け止めることは叶わぬだろう。
その上に履いているスウェットパンツに、敵の足止めの全責任を押し付けるのは余りに酷ではないか。
できれば、損害は薄い膜と成り果てたパンツのみで済ませたい。
などという、小賢しいことを考えているのだ。
覚悟が聞いて呆れる。
「逃げちゃダメだ」と自分を鼓舞し、
「綾波を返せ!」と絶叫し、
今度こそ本当の覚悟を決める。
そして画面を睨みつけた私の目に飛び込んできたのは、エンドロールだった。
覚悟がどうとか、綾波がどうとか考えるうちに、そこそこ時間が過ぎていたのだ。
見逃してしまった...
その瞬間力が抜け、尻が爆発したかのような衝撃と、身体が一瞬宙に浮いたような感覚。
私は悟った、ついに最終防衛ラインを突破されセントラルドグマに侵入を許したのだと。
辺りに立ち込め始めた異臭の中、呆然としながら思い出す。
これ録画じゃん...