最近、肩が痛い。
肩の痛みに気づいた時、まず脳内に浮かんだ言葉は野球。
ベースボールとも言う例のあれだ。
先発完投こそ真のエースとの矜持を胸に、何があろうとも決してマウンドを譲らずに投げに投げた結果、肩が壊れたのか。
次に浮かんできたのは、トミージョンという言葉。
幾多の野球選手を甦らせてきた、例の手術だ。
ついに私もトミージョンする時がきたのか。
否!
それはすぐに否定出来る。
何故なら、私が草野球をやっていたのはもう10年ほど前のことだし、生まれてこのかたピッチャーなんてついぞやったことが無い。
私の定位置は8番ライト、俗に言うライパチというやつだ。
チームで一二を争う下手くそだったのだからさもありなん。
そして更に言うなら、トミージョン手術というものは肘に対して行なわれるものだ。
さて、野球が原因でないとするとなぜに肩が痛むのか。
例えば、座禅の時に和尚に肩をしたたかに打ち据えられたとか、UWFが好きな人間にチキンウイングフェイスロックをかけられたとか、そういったわかりやすい原因となるものには覚えがない。
仕方ないので、スマートフォンで「肩 痛み」と検索してみると、一つのワードに目が釘付けになった。
四十肩
嗚呼、かの有名な、肩痛世界の中でもトップクラスに名の知れた人ではないか。
その知名度は超高校級と言っても差し支えないだろう。
間違いない、私の右肩はこの超高校級に侵されたのだ。
痛みの理由がわかったのは良いけど、特に治す方法はないと書いてあるではないか。
さすがに超高校級というだけあって規格外、理屈は通用しないということか。
なるべく動かさない方が良いとか書いてあるが、私は右利きなので右腕を使わずに生活するのは至難の技だ。
まさかこれは、茂野吾郎が左投げに転向したように私も左のみで何でもやれという試練なのか。
もしかして、その試練を乗り越えたらジャイロボールを投げられるようになるのか。
もし、私がジャイロボールを投げられるようになったとして、
それがいったい何になる?
日常生活において、ジャイロボールを投げる機会があるとは到底思えない。
例えば、2、3m離れた所に居る人から「悪いんだけど、そこのリップクリーム取ってくれない?」と言われたとしよう。
私はここぞ!とばかりに、喜び勇んでリップクリームを鷲掴みにして、ジャイロを投じる。
たかだか2、3mの距離から私の全力投球ジャイロでリップクリームを投げつけられたらどうなってしまうのだろう。
あまりに恐ろしくて想像もしたくないが、友人を一人失うことは確実だ。
実は私ジャイロ投げれるんですよ、
と言えばモテるのか?
そもそも、ジャイロって何なんだ?
いつのまにか四十肩の話がジャイロに移行してしまったが、話を戻すと、この肩の痛みが中々微妙なのだ。
腰痛とかのように日常生活に支障をきたすほどではないけれど、ちょっとしたことでいちいちピキッときて、「ウっ!」となる。
このピキッが曲者で、痛み自体は大したことないのだが回数が多いので、ボディブローのようにじわじわ効いてくるのだ。
ピキッがいつ来るかとビクビクしながら生活するようになり、気づけば常に肩を気にして、ピキッが来ないように右肩を固定したロボットダンスのような動きになって、しまいには一日中肩のことしか考えられないようになるのだ。
常に頭の中は肩のことでいっぱいなので、「かた」という言葉に過敏に反応してしまう。
他人の会話やテレビなどで、肩という言葉が聞こえてきた時はもちろん、片桐さんとか土方さんなどの名前、「かたじけない」などのセリフ、更には「カッターナイフ」とか間にッが入っていても、果てには机の上の物が振動でカタカタと音を立てるのすら、その都度ビクッと反応してしまい、例のロボットダンスをするのだ。
そうなると、無数の「かた」で溢れている外になんて恐ろしくて出られたもんじゃない。
それでも一切外出しない訳にはいかないので、覚悟を決めて公共の移動機関を利用した時に限って、車内で急病人が出てしまい「この中に医療関係者の“かた”いませんか?」という呼び掛けに見事に反応してしまう。
皆が注目する中、医師でも何でもない私は、右肩を固定した奇妙なロボットダンスを踊り狂うという目も当てられない悲惨な事態になってしまうのだ。